本 地 堂
(ほんじどう) |
国重要文化財 |
再建:
寛永19年(1642年)9月11日 |
一重の入母屋造妻入り造り
桁行4間(9.9㍍)梁行3間(7.6㍍)
屋根 元は木賊葺(とくさぶき)(南宮神社造営文書)
平成大修理時(H27~H30年)に屋根を銅板葺に変更
蟇股:鷹・雁・鴛鴦・鴨
格天井:蓮・桐・菊・芙蓉・牡丹
本州阿弥陀如来四十八願霊札第三十四番
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三 重 塔 (さんじゅうのとう) |
国重要文化財 |
草創:天平13年(741年)
再建:寛永20年(1643年)7月
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※日本初の一括請負で建てられた建造物
京都の石材商 久保権兵衛の一括請負工事
(南宮神社造営文書)
高さ:25.38㍍
初重: 4.394㍍ 二重: 3.955㍍
三重: 3.368㍍ 心柱:20.34㍍
蟇股:孟宗竹に筍・唐松布袋唐子・松
無花果と三光鳥・牡丹と錦鶏鳥
桃ノ木と猿・ブドウとリス・波おもだか葦と鷺
波に雲に千鳥・波に雲と鴨 |
梵 鐘
(ぼんしょう) |
国重要文化財 |
奈良時代後期(文化庁)
奈良時代の梵鐘16口の一つ
東海地区最古の鐘
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奈良時代に奈良の地(明日香)でつくられた梵鐘
かなり大きいので特種な技術集団により作製された梵鐘
京都橘大学文化財学科 五十川伸矢教授
総高:165.0㎝ 鐘身:129.0㎝
口径:100.7㎝ 厚さ:8.5~9.5㎝
撞座は六弁蓮華座
撞座軸に対して竜頭軸が直角に交叉
撞座面と竜頭側面が平行
撞座位置は高く古式(奈良時代)で
撞座の高さと鐘身の高さとの比率が33.6%の位置
乳は宝珠と頸部からなり大形乳を四段六列に96個配置 |
鐘 楼
(しょうろう) |
県重要文化財 |
再建:
寛永19年(1642年)9月11日 |
桁行2.5間(4.32㍍)
梁行2.5間(4.32㍍)
一重切妻造本瓦葺(南宮神社造営文書) |
鉄 塔
(てっとう) |
県重要文化財 |
改鋳:
応永5年(1398年)8月10日
美濃守護土岐頼益 |
「古銘は鎌倉二位尼の建立」とあり、北条政子が夫である源頼朝の死後、頼朝の菩提を弔うために全国の社寺に多数寄進したものの一つ(新撰美濃志)
永正年間(~1521年8月)まで年々如法経(法華経)書写して塔に納入していた
慶長5年(1600年)9月 関ヶ原合戦時、南宮山に陣取っていた西軍の長宗我部盛親が陣営の兵糧の煮炊きに使ったとの逸話がある(新撰美濃志・垂井町史)
高さ165㎝初層高さ65㎝二層高さ100㎝上径70㎝下径100㎝
初層軸部-四天王 二層軸部-六地蔵
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観 音 堂
(かんのんどう) |
町重要文化財 |
神護2年7月(766年)の草創
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江戸時代には「宝珠院」と称し、南宮大社奥之院とも称し美濃中山(現南宮山)の山上近くに建立されていた
宝珠院は千手院・威徳院・知足院・元上院・常林坊・利生院・真禅院・十如院・円乗院とあわせて南宮十坊 |
護 摩 堂
薬 師 堂
釈 迦 堂
十 王 堂 |
町登録文化財 |
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釈迦堂と十王堂は寛永19年(1642年)9月11日再建
(南宮神社造営文書)
薬師堂は延暦12年(793年)草創
護摩堂は元は元三大師堂 |